奈良観光、東大寺、奈良県庁(笑)、興福寺。(その2)

5月16日 奈良観光、東大寺、奈良県庁(笑)、興福寺。

東大寺、南大門の方へ、どんどん進みます。”南大門”って、韓国にもあるし、よく聞きますよね。まぁ仏教のなにかしらの”お約束?”のネーミングなのでしょうね。

この日は暑かったので、鹿さんたちも日陰を見つけてマッタリです✨ね~。

立派です✨ね~。南大門が見えてきました。

日光東照宮などは、ビッカビカに華美であんまり好きじゃなかったです✨が、これはいいです✨ね~。渋い。シブ過ぎる。

以下WIKIPEDIAより拝借。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA

国宝。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。1層目の屋根の上には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」にあわせて新調されたものである。

木造金剛力士立像(国宝)
高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従前の通説とは若干異なっているが、運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ない。

写真だと伝わりませんが、デカイ!いちいち細工部分も作りがデカイ!(笑)。

さて、仁王像です✨ね~。

すげ~。凄すぎる。写真じゃまったく伝わらない。

めっちゃ、筋肉隆々なカンジ。仏像鑑賞とか、ぶっちゃけそんなに興味ないけど、これはヒキコマレルわー(笑)。

門の内側も、なんだかすげ~(笑)。

子供には、通るのも”乗り越えてます”・・・とにかく、何もかもがでかすぎ(笑)。

足!・・・仕事が細かい。リアルすぎる。

鹿と戯れる修学旅行生(笑)。青春だな~。

さて、南大門を抜けると、いよいよ大仏殿が見えてきます。

大仏殿の周りを囲んでいる廊下?です✨ね~。

受付で、入場料を(大人500円)払って、中に入りました~。
http://www.todaiji.or.jp/

どどーん!デカイ!!でかすぎる!

以下、WIKIPEDIAより

現存の大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルである。高さと奥行は創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっている。大仏殿はしばしば「世界最大の木造建築」と紹介されるが、20世紀以降の近代建築物の中には、大仏殿を上回る規模のものが存在する。よって「世界最大の木造軸組建築」とするのが望ましい。

・・・・だそうです✨ね~。

入り口?の上の部分、何もかもがデカイ!

そして、ご登場!!!大仏さまでござる~!